徒然通信・桃世亭

好きな作家・三島由紀夫のこと、その他を徒然に綴ります。

三島由紀夫の名言から見える――スキャンダルと村八分

不倫、大麻覚醒剤所持など、有名人のスキャンダルにとどまらず、学校や職場、ネット上のコミュニティの場での、ちょっとした悪い評判や噂でも、その人にとって致命傷になる場合が多々ありますよね。人によっては、そのスキャンダルや悪い噂が、逆に宣伝になることもありますが、それまでその人に抱いていた紳士淑女的な好印象が覆されてしまった場合などは、その人の人気や羨望がすっかり失われて大きなダメージになります。

 

スキャンダルが流れて、その人が社会から「悪者」とされる場面では、その人のそれまでの功績や利点などは、ほとんど顧みられない傾向が結構一般的だと思いますが、三島由紀夫は、そうしたスキャンダルの本質や特長を以下のように語っています。

 

実際のところ、小さな集団の中では村八分はいつもあつて、丸ノ内の近代的なオフィスの内部にだつて、一寸した悪い噂から生じた村八分の雛型は、いくらも見られる。(中略) スキャンダルの特長は、その悪い噂一つのおかげで、当人の全部をひつくるめて悪者にしてしまふことである。スキャンダルは、「あいつはかういふ欠点もあるが、かういふ美点もある」といふ形では、決して伝播しない。「あいつは女たらしだ」「あいつは裏切者だ」――これで全部がおほはれてしまふ。当人は否応なしに、「女たらし」や「裏切者」の権化になる。一度スキャンダルが伝播したが最後、世間では、「彼は女たらしではあるが、几帳面な性格で、友達からの借金は必ず期日に返済した」とか、「彼は裏切者だが、親孝行であつた」とか、さういふ折衷的な判断には、見向きもしなくなつてしまふのである。

 ――三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」(婦人倶楽部 1960年2月号)『決定版 三島由紀夫全集31巻 評論6』pp.329-333 所収

 

そして、こういうスキャンダルは人間だけではなく、食品にも起る場合もあり、三島がこの随筆を書いた1960年(昭和35年)に、ほうれん草を食べ過ぎると結石になる、というニュースが新聞やマス・コミで報道されて、記事の片隅に一応、普通の分量ならば問題ない、という主旨の談話が書かれていても、ほうれん草を食べなくなる人が急増し、ほうれん草が売れなくなったという現象があったそうです。

 

さっき、村八分は原始的な集団のなかで甚だしいと言つたが、マス・コミといふものが、近代的な大都会でも、十分、村八分を成立させるやうになつた。ハウレンサウはその哀れな犠牲者だつたのである。

 ――三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」(婦人倶楽部 1960年2月号)『決定版 三島由紀夫全集31巻 評論6』pp.329-333 所収

 

この三島の随筆で書かれたスキャンダルと村八分の関係は、令和の現在のネット社会やマス・コミの報道でも同様で、どんな時代でも起ることなのでしょうね。

 

参考文献

『決定版 三島由紀夫全集31巻 評論6』(新潮社、2003年6月)ISBN 978-4106425714