徒然通信・桃世亭

好きな作家・三島由紀夫のこと、その他を徒然に綴ります。

三島由紀夫の士道観に反する村上誠一郎の「国賊」発言

山上徹也容疑者の銃撃によって殺された故安倍晋三元首相の国葬が9月27日に行なわれますが、この国葬に対し自民党所属の村上誠一郎氏が9月20日に反対の意を示し、記者団の前で「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ」と故安倍氏のことを非難したことが話題になりました。

 

自民党で当選し今も同じ自民党にいるにもかかわらず、このような発言をするのは、何か人としての信義やモラルが崩壊しているように感じ、このようなボロクソの批判をするならば自分が離党してから言えばいいのでは? と思います。こんなことを記者の前で言っておきながらも、まだ自民党にいるって図々しすぎだなと一般人の私でも思うのですから、同じ自民党内から村上誠一郎に対して離党勧告をすべきとの声があがるのも当然のことのように思います。

 

ある組織に属しながらその組織やリーダーを批判することは、現代社会ではままあることですが、それを身内の会議などで意見として改善のため進言するのならまだしも、この村上誠一郎のように世間(テレビ)の国葬批判の風向きに乗じて外部(マスコミ)に向って発言し賞讃を集めようとしている意図が透けてみえるから、なんとなく村上誠一郎という人物の下世話さが露呈しているようにみえます。

 

三島由紀夫の残された評論を見ると、この村上のような手柄面の姿勢をとても嫌っていたことが分かります。かつて石原慎太郎氏が自民党員でありながら、外部に向って自民党をボロクソに批判をしたことに苦言を呈した三島は、「貴兄がさういふ反党的(!)言辞を弄されること自体が、中共使節の古井氏のおどろくべき反党的言辞までも、事もなげに併呑する自民党的体質のお蔭を蒙つてゐる、といふ喜劇的事実に気づかざるをえませんでした」と、当時の石原氏の「ケヂメを軽んずる姿勢」を批判しました。

 

私の言ひたいのは、内部批判といふことをする精神の姿勢の問題なのです。この点では磯田光一氏のいふやうに、少々スターリニスト的側面を持つ私は、小うるさいことを言ひます。党派に属するといふことは、(それがどんなに堕落した党派であらうと)、わが身に一つのケヂメをつけ、自分の自由の一部をはつきり放棄することだと私は考へます。

なるほど言論は自由です。行動に移されない言論なら、無差別に容認され、しかも大衆社会化のおかげで、赤も黒も等しなみにかきまぜられ、結局、あらゆる言論は、無害無効無益なものとなつてゐるのが現況です。ジャーナリズムの舞台で颯爽たる発言をして、一夕の興を添へることは、何も政治家にならなくても、われわれで十分できることです。

――三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」(毎日新聞 1970年6月11日号 夕刊)『決定版 三島由紀夫全集36巻 評論11』pp.179-182 所収

 

三島由紀夫は、議員になってまだ2年の石原慎太郎氏が、自民党内部ではなかなか実際面の役職に携われない欲求不満を言論の世界で憂さ晴らし的にやる心情も分からないこともないとしつつも、そうした外部の世間に向って発する内部批判のあり方の苦渋の無さや軽さ自体を指摘します。

 

私は貴兄のみでなく、世間全般に漂ふ風潮、内部批判といふことをあたかも手柄のやうにのびやかにやる風潮に怒つてゐるのです。貴兄の言葉にも苦渋がなさすぎます。男子の言としては軽すぎます。昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙つて耐へました。何ものかに属する、とはさういふことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしかありません。私は政治のダイナミズムとは、政治的権威と道徳的権威の闘争だと考へる者です。これは力と道理の闘争だと考へてもよいでせう。

――三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」(毎日新聞 1970年6月11日号 夕刊)『決定版 三島由紀夫全集36巻 評論11』pp.179-182 所収

 

昔の武士に喩えるのは三島らしいクラシックな考え方ですが、言いたいことはなんとなく分かり、なんでもかんでも自由といえども、みっともない振舞いは今も昔も美しくはないのだぞ、という感性のことを言いたかったのではないかなと思います。これは、「もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしかありません」というところから分かる気がしました。

 

参考文献

『決定版 三島由紀夫全集36巻 評論11』(新潮社、2003年11月)ISBN 978-4106425769